top of page

  「当世国有林葉裏の虫干し」のホームページ掲載に当たって

 

私が現役時代に綴った言わば国有林の同時代史が、この「当世国有林葉裏の虫干し」である。

公表したことはないが、結構多くの上司・同僚、学者、研究者、森林・林業関係者に配っている。かなり暴露本的なところもあるが、だったらどうするの?という対応策、改革案がないと意味がない。単なる批判であれば誰でもできるだろう。全131ページのうち、55ページ以降が改革案となっているところが味噌である。

ところが、この改革案の一つでも政策化、制度化されたものがあるかと言えば、皆無である。131ページ、135,000字という超巨編では、見ただけで嫌になって、読んでいない人も多いだろうし、納得できない、意見が違う、同感だが施策化が難しい、などいろいろだろうが、実態として無視されておわったものである。

退職後、ホームページを立ち上げた際に、本稿をアップしなかったのは、その技術的エッセンスを「感じる森林学」に吸収拡大させたからである。

それが最近になって、私が親しくする学者の皆さんの間で、国有林野事業についてここらで総括しようという機運が高まってきた。

「中岡、おまえも協力しろ」

と言われているのだが、研究論文的なものは大の苦手である。

そこで、「当世国有林葉裏の虫干し」をホームページにアップしておけば、まずはこれを読んでくださいと答えて、立派な協力になる。

アップに際して読み直してみた。私は、書いたそばからどんどん忘れてしまうので、あとで読み直して面白くて笑ったりする。だから、意外と客観的に自作を批評することができる。

本編には、3つの構成要素がある。1つは、国有林だけでなく民有林にも共通した森林・林業に関する技術。2つは、日本一の巨大林業事業体である国有林の経営。3つ目は、国有林という官庁組織である。これら3つの要素は、項目建てして区分しているわけではなく、あらゆる箇所に混然一体となって著わされている。

これが同時代史、歴史学的に言うと1次資料として提供されているのだから、学術的には「当世国有林葉裏の虫干し」は最高ランクの資料と言えよう。

 

しかし、「当世国有林葉裏の虫干し」は学術に供するために書かれたものではない。あくまで国有林現場から組織改革への提言なのである。それなのに先ほど述べたように、林野庁中枢で行われた改革に活かされることはなかった。

それは公文書として、現場から中枢へ言わば正式に上げられたものではなかったためかも知れない。しかし、このような大それた物は公文書の範疇にはなかった。まあ、やろうと思えばどんな形式でも構わなかったのだろうけど。

そもそも、このような改革案が中枢で受け入れられない理由は、過去から連綿と引きずってきた政策を否定することができないという役所独特の事情にある。

民間であれば、儲けるためであれば大変革も厭わないであろうし、そうしなければ組織がつぶれる。

しかし、官庁ではそうはいかない。財務省に行って政策を大きく転換しますと言った途端に、去年までうそをついていたのかと言われて返答に窮する。過去は常に正当である、正当の上に正当を積み重ねているつもりが、いつしか現場と乖離して、およそ非現実的なものとなっている。こうして構築された政策の呪縛から逃れることができないのが、役所というものである。

過去に軍部が日中戦争の泥沼から抜け出せず、勝てはしないと分かっているのに結局は日米開戦に踏み切り、国を滅ぼしかかった。軍部こそお役所の典型であり、過去の正当性から脱却できず、最後には勝てない戦争にまで至る。

自己否定をできない役所が、現実離れした空想を描き、破滅に到る。役人の思考の硬直性が自家中毒を引き起こし、死に至るのだが、死なないと解決できないところが悲しい役人の性である。

このようにならないように領導するのが政治家の役目の一つであろうが、昨今はかばかしい人材が見当たらない。

 

結局、「当世国有林葉裏の虫干し」は実用には至らず、学術的資料になるしかないのだろうが、この先国有林問題を取り上げるような奇特な学者がいるとも思えない。と言ことは、実質学術的資料にもならないということだ。

大真面目で馬鹿げた事業をやっていたと、笑い話で読む分にはなるべく平易に書いたので役立つかもしれない。そうは言うものの、「当世国有林葉裏の虫干し」のような、どんな分類に属するのか分からない文章が、おそらく空前絶後の代物であることだけは想像に難くない。

なぜなら、独立採算制末期の国有林野事業の進行とともに記されたものであり、筆者が現場からの目線で、技術、経営、役人を要素としてかなりの問題意識を持って、書き込んだものだからである。

時代の波は、個人の役割が総合から専門へ深化する一方、その反動として総合性が希薄となり、専門外については極めて軽薄な見識しか持てない世である。本編は図らずも、スペシャリストばかりで、いい加減なゼネラリスト出る幕のない時代への警鐘ともなっていると思う。

 

書き始めた時期は判然としないが、青森営林局で計画課長をしていた時代にある程度形があったような気がするので、1994年(平成6年)ごろと思われる。以来、一般会計化+独立行政法人化に2分割する方針が決定した2006年(平成18年)までの記述があるので、10年以上にわたって書き綴られ、書き直され続けたようである。

ところがそのあと、急転直下すべてが一般会計化してしまうのだが、その経緯についてはまったく触れていないし、実のところさっぱり記憶から欠落している。

一般会計化は、それまで曲がりなりにも収入に支配されていた職員給与が、完全に一般公務員並みに固定化するという、国有林職員にとって悲願の雇用安定化は達成された。

しかし、それだけのことである。

曲がりなりにも民有林と伍して行っていた林業を国有林が放棄した時点で、私はこの組織について興味を失い、同時に定年退職を迎えた。記憶は、欠落していて当然である。

最近、国有林を論題にした論文をほとんど見かけない。それは、私が森林・林業関係の学術論文に興味を持たないせいで、実際はあるのかも知れないが、そもそも林業に関する論文自体が減少しているのかも知れない。

これらの論文の減少は、森林・林業の衰退をも意味している可能性が強く、就中国有林などに研究対象としての魅力がなくなっていることは明らかであろう。さすがに寂しいことではあるが、時代の流れに竿をさすことはできない。

この先、国有林に待っているもの何であるのか。

今年、国有林野経営管理法が改正され、国有林を長期・大面積で民間事業体に経営委託できるようにするらしい。10年間が基本で最長50年間、国有林を数百ha、年間数千㎥の伐採ができる権利を与えるというのだ。

どうせ森林・林業の素人の発案だろうが、これを阻止できない林野庁も同類であろう。詳細はここでは述べないが、日本においては規模が大きければ大きいほど林業経営が破綻するリスクは高いのである。そして、それを証明したのがかつての独立採算制の国有林野事業である。また、民間の大規模林業がうまくいっている事例もない。

このような誤った国有林の将来をこの「当世国有林葉裏の虫干し」が正せるのならうれしいが、いつものように無視されて終わりだろう。国有林が戦後の増伐で丸裸になって自然災害を誘発させた過去を繰り返さないことを願っている。

 

ホームページ「森の自由人」へのアップに当たって、字句の誤謬、文意の通らない箇所の訂正を行った。技術論等は、現在の持論と異なっている部分もあるが、そのままにしてある。その後著した「感じる森林学」への途上にあるものと理解してほしい。

bottom of page