恩賜林
- yutakashi-gel
- 2016年8月3日
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甲府にいる友人たちのお誘いを受けて、何と日帰りで飲みに行ってきた。
高尾から乗った各駅停車の女性車掌は中国人らしく、英語、中国語での案内があった。もちろん、日本語も上手だった。富士山講も国際的なったから、当を得た人事である。
飲んで帰るだけでは芸がないので、甲府城に寄った。戦国大名の武田信玄は、人は石垣人は城とうそぶいて、近代城郭を築かなかったので、甲府城は、武田氏滅亡後に甲斐の国に封ぜられた大名たちが建設したものである。
城郭は鉄道や山梨県庁舎によって多くの部分が失われ、本丸とその周囲が残っているだけだが、甲府駅や県庁に近いだけに甲府市のシンボルとしての価値は大きく、舞鶴城公園として整備されている。
県庁に近い鍛冶曲輪門から入っていくと、すぐに恩賜林記念館という明治的な建物があった。
山梨県にはかつて広大な御料林(皇室の山林)があったが、明治期に甚大な水害を受けたのを契機に県に下賜され、県有林となった。いわゆる恩賜林で、そのため山梨県には国有林がほとんどない。
恩賜林記念館には様々な資料が展示しておるのではないかと覗いてみたが、林業関係の外郭団体の事務所ばかりで、他県でいう林業会館だった。
堀端の恩賜林記念館から本丸までは4段ぐらい石垣が積み重ねられ、堂々たる城構えである。その本丸に高くそびえ天を衝くがごとき石塔があって、遠方からも望まれ、その威圧感は尋常ではない。まさか宗教施設ではないし、忠霊塔かと思って敬意を表してお参りすると、何とそれは恩賜林謝恩碑だった。
現在の国有林ではとっくに忘れ去られた得体の知れないトラウマが、この謝恩碑から発せられているような気がした。謝恩碑の台座から降りると若者が群れ集って、静かながらも異様な雰囲気だ。全員片手にスマホをかざしている。発せられているのは、ポケモンGOだった。
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